比較地獄社会
毎日、脳の裏で比較をして自分を攻撃している。恥ずかしいので知人には言っていない。むしろ「比較なんてしない、悠々自適に生活をしているわ」という姿を見せたいと思っている。
世の中には常に比較できるものであふれている。比較なんてしても意味ない、と偉そうに語るインフルエンサーもあふれている。お金、学歴、性器や胸の大きさ、英語力、人生の充実度。数値化されていないものまで比較し始めて、比較したら基本的には不幸になる。「比較をしたらどうやったらその理想になれるか考えよう」なんて言うやつは頭のねじが何本も飛んでいる。じゃあどうやったら一億円稼げるか考えろよ。考えてわかる問題じゃないから困ってんだろうが。
どうしたら比較をなくすことができますか、とインフルエンサーに質問をする動画をみた。まるで自分は比較に苦しんでいませんという顔をしたインフルエンサーと比較に苦しむ自分を比較して嫉妬した。
一瞬で比較をなくす魔法の方法や言葉なんてないんだろうなと思った。もしあるのなら社会から比較は一切消えているだろう。じゃあ、わかりきった顔で「比較なんて意味ない」といっているインフルエンサーはみんな嘘つきじゃないか。まあ責めても仕方がない。きっと私は嫉妬しているんだろう。
比較をなくす魔法の言葉がないのだとしたら、実践によってなくすしかないのだろう。ああ、またわからなくなってきた。こうやってぐるぐるぐずぐず考えているからいつまでたっても不幸なままなんだろう。ドッジボールに勤しんでいた小学生時代は、ドッジボールがうまい奴と比較したって別に不幸じゃなかった。
勝手に競争を押し付けないでくれ。これも自分の考え一つで変わるのだろうか。全部全部自分の責任なのだろうか。馬鹿だなあ。馬や鹿だったらなあ。鳥のほうがいいか。