苦悩一

解脱日記

反芻思考動物

嫌われるのが、怖い。世の中には「人は意外と人のことなんて見てない。」「他人の目なんて気にするな!」といった軽い言葉が飛び交っている。嫌われることに恐怖を感じるのは、もう本能のようなものなのではないか。どれだけ頭でわかっていても、嫌われrのが怖い。バイト先の店長からの返信は怖い。

 

昔から人は集団で過ごしてきた、そこで嫌われることはデメリットとなるので嫌われることに恐怖を感じるような個体が生き残ってきた。ものだと思っている。正しいかどうかは知らない。嫌われるのは怖いものだよねと受け入れるしかないものか。電車で大声を出して嫌われる訓練をすれば救われるか。

 

こういったことをずっと反芻している。解決しないなーとずっと反芻している。草食動物は反芻することで微生物に草を分解させやすくしているらしい。けど反芻思考動物の人間は、ただぐるぐると同じ考えを回すだけで、脳のなかには微生物がおらず、ただ重石のような思考が脳にたまるだけである。つらいねー。

 

草食動物の反芻とは、飲み込んだものを再び咀嚼することらしい。反芻思考動物の人間にはこの租借が足りてないのじゃないか?実際には反芻すらできていないのではないか。ただ永久に不安を大きくして脳を圧迫する拷問。セルフ拷問。

 

ネガティブなことを反芻、というかただ何度も考えてしまうのはなぜなんだろう。未来とか、嫌われる恐怖とか、そういった得体のしれないものがどんどん頭の中で大きくなっている。脳のエラー何だろうか。脳もエラーを起こすんだね。

 

考える、ということを正しくできていないことと考えることだけで解決しようとする習慣が反芻思考を生み出しているかなあと思う。まずそもそもただ何度も同じ不安を感じることは考えることではないし、未来に対する不安だとするとなおさら考えても仕方がない。

 

どうせ反芻するなら、もっとどうでもいいことを反芻してほしい。あの人に嫌われたらどうしようという考えよりも、小島よしおとかが反芻してくれれば楽だろう。

ああ、そうか人はわからないことに恐怖を感じるのか。あの人に嫌われるかどうかはわからない、自分がネガティブを被るかもしれないとわからないことに恐怖を感じるのか。あの草むらから小島よしおが飛び出してくるかもしれないと思うと、恐怖ですな。

比較地獄社会

毎日、脳の裏で比較をして自分を攻撃している。恥ずかしいので知人には言っていない。むしろ「比較なんてしない、悠々自適に生活をしているわ」という姿を見せたいと思っている。

 

世の中には常に比較できるものであふれている。比較なんてしても意味ない、と偉そうに語るインフルエンサーもあふれている。お金、学歴、性器や胸の大きさ、英語力、人生の充実度。数値化されていないものまで比較し始めて、比較したら基本的には不幸になる。「比較をしたらどうやったらその理想になれるか考えよう」なんて言うやつは頭のねじが何本も飛んでいる。じゃあどうやったら一億円稼げるか考えろよ。考えてわかる問題じゃないから困ってんだろうが。

 

どうしたら比較をなくすことができますか、とインフルエンサーに質問をする動画をみた。まるで自分は比較に苦しんでいませんという顔をしたインフルエンサーと比較に苦しむ自分を比較して嫉妬した。

 

一瞬で比較をなくす魔法の方法や言葉なんてないんだろうなと思った。もしあるのなら社会から比較は一切消えているだろう。じゃあ、わかりきった顔で「比較なんて意味ない」といっているインフルエンサーはみんな嘘つきじゃないか。まあ責めても仕方がない。きっと私は嫉妬しているんだろう。

 

比較をなくす魔法の言葉がないのだとしたら、実践によってなくすしかないのだろう。ああ、またわからなくなってきた。こうやってぐるぐるぐずぐず考えているからいつまでたっても不幸なままなんだろう。ドッジボールに勤しんでいた小学生時代は、ドッジボールがうまい奴と比較したって別に不幸じゃなかった。

勝手に競争を押し付けないでくれ。これも自分の考え一つで変わるのだろうか。全部全部自分の責任なのだろうか。馬鹿だなあ。馬や鹿だったらなあ。鳥のほうがいいか。

また、バイトを休んだ

罪悪感を少しでも少なくするためか、記事が書きたくなりここに書く。

 

最初はバイトが楽しくてたまらなかった。いつからこうなったか。いやいつもこうな気がする。

 

外国の地でアルバイトをさせていただいていると感謝しなければならないのはわかっている。しかし強迫観念からの感謝は本当の感謝といえるのかわからなく、また本当の感謝を持てない自分にも嫌気がさす。

 

縁あって優しくしていただいた日本食料理屋で働かせていただいている。店主はきつそうと周りからは言われているが、私からするとすごく気のいい人だと感じていた。初めの一か月のうちはそうだった。まるで家族のお手伝いをしているような気しかせず、働いているという感覚はなかった。ある瞬間から、家族ごっこから仕事へと切り替わった。店主に呼び出され、一対一で話をした。内容はほとんど覚えていないけれど、「あなたがこれからするのは仕事で、これは仲良しごっこではなくビジネスです。」と言われたような気がした。

 

それからはミスが怖くなった。けれど怖がれば怖がるほどミスは増えるというもので、どんどんグラスやお椀を割った。そのうち、我が子のように扱ってくれていた店主の顔も曇りはじめ、嫌味や叱りを受けることが増えた。理不尽だなと思うこともあった。それが社会なんだろう、いやだな。

 

自分なりにどうやったらストレスが減るか、散歩をしながらぐるぐると考えた。別に実害はないんだからいいじゃないか、とか丁寧に対応するのは処世術だとかいろいろ考えたけれど、どうしても店主に対する恐れのようなものが消えない。頭では恐れても意味なんてないとわかっているのに、なんとなく店主のことを考えると動悸がする。これが恋だったらいいのに。

 

ある日また呼び出され、一対一で話をした。「お前はミスが多すぎる。もっとまじめにやれ。」という趣旨の話だった。涙が出そうになった。私だってどうやったらミスが少なくなるかずっと考えている。常に頭を働かせて仕事も探している。これ以上はできない。理不尽にストレスをぶつけてくるお前にだって悪いところはあるんじゃないか。そうやって責めたい気持ちになった。いやいつも責めたくて責めたくて逃げたくて逃げたくてしょうがない。

 

今日は入れないかと突然連絡が来た。そうやって奴隷のように、自分の駒のように私を扱えると思っているところも嫌だ。用事があると言って断った。明日はどうかと連絡が来た。断った。

事情があって二週間ほど出られないと連絡した。返信が、怖い。

 

本当は仲良くしたいのに、明るく話したいのに、こんな状態になっていしまっている状況や自分が嫌だ。宝くじが当たるみたいに突然いいことが降って来やしないかと、周り頼みな自分が嫌だ。

 

こうやって書くことで少しでも自分の心が前進していけばいいなと思う。